岩村田宿 |
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岩村田宿内藤氏1万5千石の城下町。中山道では珍しく城下町であり商業都市でした。宿内には本陣も脇本陣もなく、大名家は寺院で休泊をしました。旅籠が8軒と極めて少なく住民たちは商業で生計を立てていました。佐久鯉料理が名物。佐久甲州街道、善光寺道、下仁田道の分去れがあります。江戸時代、中山道の宿場町であった信州岩村田(現在の長野県佐久市岩村田)は、岩村田藩(内藤家)1万6千石の城下町でもありました。岩村田藩の政庁は、「城」ではなく「陣屋」でした。元治元年(1864年)、岩村田藩最後の藩主内藤正誠は、岩村田宿東南の高台に城郭の建設を計画し、工事をはじめました。しかし、工事開始後間もなく、徳川幕府は大政奉還。岩村田藩も廃藩となり、城は完成を見ずして取り壊されました。 城跡地は、岩村田小学校を中心とした地域で宅地化されています。小学校の北側に、道を隔てて小さな2つの神社(西側が招魂社、東側が藤城神社)が並んでいて、招魂社の鳥居の脇には「上の城址」の看板が、藤城神社の境内には「岩村田城址」の石碑が、それぞれ建っています。 |
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